鞆の浦は中世より瀬戸内航路の重要拠点として栄えた港町である。この港町が見渡せる風光明媚な山の中腹に計画地はある。敷地へは幅員4mの坂道からアプローチし、途中やっと人がすれ違えるほどの路地を50m程度歩いた先にある。この周辺では路地の幅員や接道の関係、そして防災面などから新築が難しい地域であったが、今回実家母屋と渡り廊下によって付随する増築することで建築可能となった。急傾斜崩壊危険区域及び宅地造成等規制法などの敷地条件から必然的に建築可能範囲や元の敷地高低差を生かす建築が導かれた。
– 場所の記憶 –
この地で育った建主は、一見不便に感じるようなアプローチや厳しい敷地条件よりも瀬戸内の眺望、海や山の薫り、風や虫の音色など豊かな自然環境の中で培われた身体の記憶を大切にされていた。そこで切妻や寄棟の屋並が生みだす美しい風景に配慮した佇まいとし、場所性を活かした建築を目指した。
–風土との持続可能な関係 –
海抜20m敷地高低差2.5mの環境は夏場日中の海からの吹き上げる風と、夜は背面の山から吹き下ろす風が吹き抜ける。この気候状態を地形の傾斜角度に沿った一室空間に取り込むことにした。外壁の石積みは冬場の日射を蓄熱し、地中に埋め込まれたボックスカルバートと壁内空気層によって積極的に温暖な瀬戸内の自然エネルギーを享受できる状態をつくりだしている。
地形に沿った屋根勾配の天井とスキップフロアは、立つ・座るという生活の様々な行為に伴い1室の大きな居場所、分節された小さな居場所になったりと多様な領域と距離感を生み出す。それは内部空間だけでなく東側前面の歩道や西側背面の隣家のつながりなど近傍から海や山などの遠方まで、住まいの拡張された領域(環境の総体)として捉えることができる。
刻々とうつろう環境変化を受け入れながら風土と寄り添う姿は環境性能などの数値からは見出せない豊かな状態が生み出されており、それは持続可能なものへつながると思っている。